2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」に登場する
徳川慶勝(とくがわ よしかつ)について
むずかしい言葉をできるだけ使わずに、わかりやすく解説していきます!
大河ドラマのキャストは小宮孝泰さん。
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徳川慶勝(とくがわよしかつ)の生い立ち
徳川慶勝は、1824年に江戸にて生まれます。
父は美濃高須藩(現在の岐阜県海津市)の藩主・松平義建です。
松平義建の息子たちには、
尾張藩15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬
のような人物がおり、
徳川慶勝をふくめた4人は「高須四兄弟」と呼ばれています。
また、徳川慶勝と一橋慶喜(徳川慶喜)とはいとこ関係となります。
藩主になるも、井伊直弼に抗議して謹慎に
徳川慶勝は、尾張藩の14代藩主となります。
しかしその後、
大老となった井伊直弼が、朝廷の許しを得ずにアメリカと日米修好通商条約を結ぶと、
徳川慶勝は、前水戸藩主の徳川斉昭や一橋慶喜とともに、江戸城に勝手に乗り込んで井伊直弼に抗議します。
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それにより、徳川慶勝は、徳川斉昭や一橋慶喜とともに謹慎処分となってしまいます。
このころ、当時欧米から伝わったばかりの写真に興味を持ち、
写真を撮るようになりました
(徳川慶勝が撮影した写真の中には、明治維新後に取り壊された建造物などもあり、非常に貴重な資料となっています)
その後、井伊直弼は、桜田門外の変で殺害されると、
14代将軍・徳川家茂の補佐となり、
さらには尾張藩主の後見人となって、尾張藩の実権を握るようになります。
第一次長州征伐の総督に
禁門の変(蛤御門の変)にて御所を襲った長州藩は朝敵(朝廷の敵)となり、
幕府によって長州藩を討つこととなります(第一次長州征伐)
このとき、幕府側の総督に任命されたのが、徳川慶勝でした。
また、このとき西郷吉之助は、大参謀(実質的な総指揮)に任命されています。
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第一次長州征伐は、西郷吉之助の交渉により、
禁門の変の責任者となる長州藩の家老3人が切腹するという条件で
長州藩が降伏する形で終わりました。
その後の徳川慶勝
徳川慶勝はその後、
大政奉還のころには、新政府の側につき、
鳥羽・伏見の戦いでは、明け渡された大坂城を、新政府側の代表として受け取っています。
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その後、徳川慶喜(一橋慶喜)や、戊辰戦争で新政府軍と激しく戦った会津藩の松平容保の
助命に尽力します。
そして、徳川慶勝は1883年に亡くなります。
享年60。
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