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高天神城(たかてんじんじょう)の戦いとは? 武田と織田徳川の攻防 大河ドラマ「直虎」

更新日:

 

2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に登場する

「高天神城の戦い(たかてんじんじょう)」について、

難しい言葉などを使わずにわかりやすく解説していきます!

 

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高天神城とは?

 

高天神城は、現在の静岡県掛川市にある山城です。

浜松と駿府(静岡市)のちょうど中間あたりにある、非常に重要な城です。

もとは今川氏のものであり、今川氏に仕える小笠原氏興が入っていました。

 

しかし、桶狭間の戦いにより、今川義元が討ち死に。

今川氏は力を弱めていったため、

小笠原氏興は徳川家に寝返ってしまいます

 

第一次 高天神城の戦い

 

高天神城での戦いは、徳川家(織田家)と武田家との間に3度起こっています。

(資料によっては、2度となっています)

 

1回目は1571年。

徳川家康は、武田信玄と敵対関係にある上杉謙信と同盟を結び

そのことにより徳川家康と武田信玄の関係は悪化。

武田信玄は、遠江(静岡県)に侵攻してきます

 

その侵攻の際に、

武田信玄は自ら2万の兵を率いて高天神城を取り囲みます。

その際、小笠原氏興の息子・小笠原長忠が守っていましたが、

あまりに険しい山城であった武田信玄は高天神城を落とすことをあきらめ、

三河方面に侵攻し、その後徳川家康と三方ヶ原で戦うこととなります。

 

この戦いでは、小競り合いが数回起こっただけなので、

「戦い」としては回数に入れない解釈もあります

そのため、「2回」と「3回」と資料がわかれているのでしょう。

 

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第二次 高天神城の戦い

 

2回目の戦いは1574年です。

武田信玄は死去し、息子の武田勝頼が継いでいました。

武田勝頼は2万5000もの兵を率いて高天神城を包囲。

 

その際に高天神城を守っていたのも小笠原長忠で、

すぐに徳川家康に援軍を求めます

 

しかし、徳川家康にとっても2万5000という兵力と戦うだけの力はなく

さらに織田信長に助けを求めることとなります。

しかしながら、織田信長もすぐには対応できず、

しばらく時間がかかってしまいます。

 

やっと織田信長の援軍は出発したころ、

小笠原長忠武田勝頼から好条件を与えると説得され、

武田家に高天神城を渡してしまいます。

 

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第三次 高天神城の戦い

 

そして、最後の第三次の戦いは1581年です。

なお、大河ドラマ「おんな城主 直虎」に登場するのは、この戦いです。

 

その5年前には長篠の戦いで、武田勝頼は織田・徳川連合軍に大敗しています。

さらには高天神城に近い諏訪原城(静岡県島田市)を徳川家は武田家より奪い、

武田家にとって、高天神城の重要性が高まっていました。

対する徳川家にとっても、

この高天神城を奪い返せば武田家を遠江から追い出すことができるので、

何としても落としたく思っていました。

 

徳川家康は、5000の兵を率いて、高天神城を包囲。

長期間包囲することによって、食料などの物資の補給を絶つ「兵糧攻め」をおこないます。

 

高天神城を守る岡部元信は武田勝頼に援軍の要請を行いますが、

武田勝頼北条氏政と対峙していて援軍を送ることができませんでした。

 

岡部元信は、徳川家康降伏を申し出たものの

織田信長「武田勝頼が高天神城を見殺しにすれば、武田方の士気は下がる」と考え、

降伏を許可させませんでした。

 

しばらく籠城が続き、城内の食糧は尽き、草木をかじって飢えをしのいでいました。

岡部元信は最後の力をふりしぼって城外に出て、

徳川家康の家臣の大久保忠世の陣に攻めかかります。

しかしながら、岡部元信はその際に討ち取られ、

高天神城は徳川の手に落ちることになります。

 

大半の兵が餓死し、岡部元信とともに688名もの兵が討ち取られるという、

悲惨な結果となりました。

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