2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」に登場する
篠原国幹(しのはら くにもと)について、
むずかしい言葉をできるだけ使わずに、わかりやすく解説していきます!
キャストは榊英雄さん。
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篠原国幹(しのはら くにもと)の生い立ち
篠原国幹は、
1837年、薩摩の鹿児島城下加治屋町で生まれます。
西郷吉之助(隆盛)が1828年生まれですので、
篠原国幹が約9歳年下になります。
学問にも剣術にも長けている、文武両道の人物へと育っていきます。
寺田屋騒動
1862年、篠原国幹は
有馬新七などの過激な尊王攘夷派とともに、島津久光に倒幕を決心させるため、公家を襲撃する計画を立てます。
しかし、その計画は事前に島津久光にばれてしまい、寺田屋にて襲撃されます。(寺田屋騒動)
有馬新七は亡くなり、篠原国幹は生きながらえましたが、鹿児島に送還され謹慎処分となります。
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薩英戦争や戊辰戦争
その後、篠原国幹は
薩英戦争では砲台守備として参戦。
戊辰戦争においては、
鳥羽伏見の戦いでは小隊長として、
上野戦争で彰義隊を攻めた際には、陣頭に立った勇猛果敢な指揮で、その名を世に知らしめました。
明治政府での篠原国幹
篠原国幹は明治2年、
鹿児島常備隊の隊長に任命されます。
のちに陸軍大佐や近衛長官となり、
明治天皇の前で軍事演習を行い、高く評価されました。
しかし、征韓論で敗れた西郷隆盛が鹿児島に戻ると、
篠原国幹は天皇の引き留めにも応じず、鹿児島に戻ってしまいます。
西南戦争での篠原国幹
鹿児島に戻った篠原国幹は、
桐野利秋(中村半次郎)や村田新八らとともに、私学校を設立。
しかしこのころ、西郷隆盛の動きを警戒していた明治政府は、
中原尚雄ら薩摩出身者を鹿児島に送り、偵察を行わせていました。
このことがばれてしまい、
鹿児島の者たちは
「新政府が西郷隆盛を暗殺しようとしている」
と激怒。
このことが、西南戦争へとつがなっていきます。
篠原国幹は一番大隊指揮長となり、
熊本城や田原坂など、各地で奮戦。
しかし、吉次峠にて銃弾を受け、亡くなります。
享年41。