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島津斉興とは?(しまづなりおき) 斉彬・久光の父となった薩摩藩主の生涯 大河「西郷どん」キャストは鹿賀丈史

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島津斉興(しまづ なりおき)について、むずかしい言葉をできるだけ使わずに、わかりやすく解説していきます!

2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」キャストは鹿賀丈史さん

 

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島津斉興(しまづ なりおき)の生い立ち

 

島津斉興は、

1791年、薩摩藩の第9代藩主・島津斉宣の長男として生まれます。

母親は側室であり、

生まれが浪人の鈴木氏であったため、

島津斉興が生まれた際に、薩摩藩と鈴木氏の間にいさかいが起こっているようです。

 

藩主になるも、祖父に実権を握られる

 

島津斉興の父・島津斉宣は藩主であったとはいえ、

前藩主の島津重豪に実権を握られたままでした。

(島津重豪は島津斉興の祖父)

 

島津斉興が18歳ごろに、

「近思録崩れ」というお家騒動が起こります。

77名もの処分者を出したこの騒動の責任を取る形で、

父の島津斉宣が藩主の座を退き、

島津斉興が次の藩主となります。

 

しかしながら、結局は祖父の島津重豪が実権を握り続けます

 

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調所広郷の財政改革

 

1833年に島津重豪が89歳で亡くなると、

島津斉興はやっと実権を握ることができます。

 

そこで着手したのが、財政改革。

「蘭癖大名」と呼ばれた島津重豪は、西洋技術などに多くの費用を使っていて、

薩摩藩の財政が厳しくなっていました。

 

財政改革に登用したのが、調所広郷という人物。

調所広郷と島津斉興は、

奄美大島などでとれるサトウキビを使用した砂糖の専売

清国との密貿易(当時、鎖国中だったため、外国との貿易を勝手に行うことは禁止されていた)

などを行い、薩摩藩の財政を立て直していきます。

 

島津斉彬に藩主をゆずろうとしない島津斉興

 

島津斉興には正室・周子(弥姫)との間に島津斉彬という息子がいました。

島津斉彬が大人になったら、藩主の座を譲るのが自然な流れなのですが、

島津斉興はなかなか藩主の座を譲ろうとしません

そうこうしている間に、島津斉彬は40歳を超えてしまいました。

 

島津斉興が藩主の座を譲らなかった理由は、様々な説があります。

 

1.島津斉彬は島津重豪の影響を強く受けており、せっかく立て直した財政を悪化させることを心配したため。

2.島津斉興は側室・お由羅の方との間に島津久光を生んでおり、久光を次の藩主にさせるため。

3.従三位の官位を得たかったため。

 

などが挙げられます。

 

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お由羅騒動

 

そうやって島津斉彬に藩主を譲ろうとしないため、

島津斉彬を藩主にしたいと考える薩摩藩の者達の不満がたまります。

逆に、島津斉彬を藩主にしたくないと考える者達は、

島津久光を次の藩主にしようと考えます。

 

こうやって、斉彬派 VS 久光派 に薩摩藩が分かれて争うようになっていきます。

久光の母・お由羅の方が、自分の息子を藩主にさせたいが故に起こったともいわれるため、

この争いを「お由羅騒動」といいます。

 

島津斉興は、島津久光を次の藩主にしようと考えていました。

斉彬派は、それに対向するため、

島津斉彬と親交があった幕府の老中阿部正弘に、島津斉興と調所広郷の密貿易を告発します。

このことにより、調所広郷は幕府の尋問を受け、その直後に急死します。

島津斉興に責任が及ばないように、自ら毒を飲んだともいわれています。

しかしながら、島津斉興は藩主を降りることはなく、斉彬派の計画は失敗に終わります。

 

その後、斉彬派の者達がお由羅の方や島津久光を暗殺する計画を立てていると疑われ

切腹となる者、流罪となるものを多数出します。

島津斉彬自身も追われる立場となり、阿部正弘を頼ります。

阿部正弘は、将軍・徳川家慶に要請し、島津斉興に隠居を促してもらいます。

 

将軍に直接呼び出された島津斉興は、茶器を与えたとされます。

これは「隠居して茶などたしなむがよい」という意味が込められていたため、

将軍の意向に逆らうことはできず、

1851年に隠居し、島津斉彬に藩主を譲っています。

 

島津斉興の晩年

 

藩主となった島津斉彬は、1859年に急死します。

次の藩主となった島津茂久は若かったため、

島津斉興は一時的に権力を取り戻し、薩摩藩内が混乱してしまいます。

しかしながら、それから1年後に島津斉興は69歳で亡くなります。

その後は、島津茂久の父・島津久光が薩摩藩の実権を握っていきます。

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