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榊原康政(さかきばら やすまさ)とは?井伊直政や本多忠勝との関係 大河「直虎」のキャストは尾美としのり

更新日:

 

 

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に登場する榊原康政(さかきばら やすまさ)

ドラマでは尾美としのりがキャストとして演じるこの人物について

難しい言葉などをできるだけ使わずにわかりやすく解説していきます!

 

 

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榊原康政の生い立ち

 

榊原康政は1548年、榊原長政次男として三河国上野郷(愛知県豊田市上郷町)で生まれます。

榊原長政は、松平家(のちの徳川家)の家臣・酒井忠尚に仕える者でした。

いわば陪臣(家臣のさらに家臣)という立場であったため、

榊原康政はそこまで高い身分ではありませんでしたが、

幼いころより勉強が好きで本をよく読み、字も非常に上手かったと伝えられます。

 

その才能を見出されて、13歳のころより小姓(世話係)として徳川家康のそばにつくようになります。

 

三河一向一揆での榊原康政の活躍

 

桶狭間の戦いののちに岡崎城に入った徳川家康は、

浄土真宗の信徒を中心とした反乱「三河一向一揆」に悩まされることになります。

この反乱には、徳川家康の家臣も加わっており

榊原家が仕えていた酒井忠尚も反乱側につきます。

しかしながら榊原康政は、小姓として徳川家康に仕える立場であったため、徳川側として戦います

これが榊原康政の初陣であったとされます。

この戦いで武功を挙げ、徳川家康より賞賛を受けます。

このときに徳川家康より「康」という字をもらい、このころから「榊原康政」と名乗るようになったとされます。

 

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兄に代わって榊原家の家督を継ぐ

 

榊原康政は次男ではありましたが、

兄の榊原清政に代わって榊原家の家督を継ぐこととなります。

理由は諸説ありますが、

榊原清政は病弱で、もともと榊原康政が代わりをつとめることが多かった説や、

徳川信康(徳川家康の長男)に仕えていたが、その自刃により後悔のあまり隠居した説、

などがあります。

(※徳川信康の自刃に関してはコチラで詳しく解説しています)

 

 

そして榊原康政は、徳川家康のもとでたくさんの戦いに参加、

姉川の戦い三方ケ原の戦い長篠の戦いなどで武功を挙げ、

徳川家康が命がけで逃げた「伊賀越え」にも同行しています。

 

 

小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉を挑発

 

本能寺の変織田信長が亡くなると、

明智光秀を成敗した豊臣秀吉が発言力を増し、織田家を乗っ取るような動きをみせます

それに異を唱えたのが、古くから織田信長と同盟関係にあった徳川家康。

この対立によって、徳川家康と豊臣秀吉との間に戦が起きます。

これが「小牧・長久手の戦い」です。

 

この戦いの際に榊原康政は、

豊臣秀吉による織田家の乗っ取りを非難する立て札をあちこちに設置。

これに豊臣秀吉は大激怒。

「榊原康政を討ち取った者には10万石を与える!」

と言ったとされます。

 

小牧・長久手の戦いは和睦にて終わりを迎えます。

その後、徳川家と豊臣家との関係は深まっていき、

実質、徳川家が豊臣家の下につくようになりますが、

そのころには豊臣秀吉の怒りもおさまっており、

榊原康政は秀吉より官位を与えられ、豊臣姓をもらっています

 

そして、小田原攻めが終わり徳川家康が江戸に入るころ、

上野国館林城(群馬県館林市)の城主となっています。

 

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関ケ原の戦いでの榊原康政

 

豊臣秀吉が亡くなると、徳川家康は政治の実権を握るために様々な工作を行います

それに対抗してきたのが、古くからの豊臣秀吉の家臣・石田三成

石田三成は、徳川家康の野望を阻止するために、徳川家康の暗殺を計画します。

その情報をいち早く聞きつけ、徳川家康を守ったのが榊原康政でした。

 

その後、徳川家康と石田三成の対立は激化し、

関ケ原の戦いとなります。

徳川家康の本隊が関ケ原に陣を構えるころ、

家康の息子でのちに第2代将軍となる徳川秀忠が率いる軍は、

真田昌幸・幸村親子が守る上田城(長野県上田市)の攻略に時間を費やしていました。

上田城の攻略にこだわる徳川秀忠に対して、榊原康政本多正信たちはすぐに関ケ原に向かうよう進言しますがしばらく聞き入れなかったため、

徳川秀忠軍は結局、関ケ原での戦いに間に合いませんでした。

 

秀忠軍が来なくても結果的に勝利できたものの、徳川家康は大激怒

徳川秀忠は、しばらくの間、実の父である徳川家康に会うことも許されませんでした。

この時に2人の間を取り持ったのが榊原康政。

このときに徳川秀忠は、榊原康政に深く感謝したとされます。

 

江戸幕府が開かれて老中の役につきますが、

しばらくすると病にかかってしまいます。

深い恩を感じていた徳川秀忠は見舞ったり医者を派遣するなど尽くしましたが、

その甲斐なく1606年に59歳で亡くなりました。

 

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井伊直政・本多忠勝・酒井忠次ら徳川四天王との関係

 

榊原康政は、井伊直政本多忠勝酒井忠次らとともに「徳川四天王」と称されています。

とくに本多忠勝と同い年でした。

「戦国最強」とも称された本多忠勝と、知性派の榊原康政

この同い年コンビは、徳川家康にとって大いに助けになったことでしょう。

また、酒井忠次は21歳も年が上であり、井伊直政は13歳年下となります。

井伊直政は気性が荒かったとされており、

同じく荒々しい本多忠勝とぶつかることが多かったようですが

それをなだめていたのも榊原康政だったといいます。

大河ドラマ「おんな城主 直虎」 人物解説一覧

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