大河ドラマで学ぶ日本の歴史

大河ドラマに出てくる人物などを、むずかしい言葉をできるだけ使わずにわかりやすく解説!

酒井忠次(さかいただつぐ)とは?井伊直政との関係やその子孫 大河ドラマ「直虎」のキャストはみのすけ

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2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に登場する酒井忠次(さかいただつぐ)

みのすけがキャストを演じるこの人物について、

難しい言葉をできるだけ使わずにわかりやすく解説します!

 

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今川家の人質時代の徳川家康に仕える酒井忠次

 

酒井忠次は、1527年に、松平家(のちの徳川家)の家臣である酒井忠親の次男として、

三河額田郡(現在の愛知県岡崎市)で生まれました。

元服したのちは、徳川家康の父・松平広忠に仕えます。

 

当時、松平家は今川家に従っていたたため、

幼いころの徳川家康(竹千代)今川家の人質として駿府(静岡県静岡市)で暮らすことになりますが、

酒井忠次はそれに同行します。

同行者の中では当時、最年長(23歳)だったとされます。

徳川家康より16歳年上です。

 

桶狭間の戦い後、徳川家の家老として活躍する酒井忠次

 

桶狭間の戦いで、これまで従っていた今川家が織田家に負けると、

徳川家康は今川家より独立して岡崎城に入ります。

 

独立したあとの徳川家は平和ではなく、

三河一向一揆という仏教徒を中心とした反乱に悩まされます。

三河一向一揆には徳川家の家臣であった者も反乱側についており、

酒井忠次の一族の者も反乱に加わっています

しかしながら、酒井忠次は徳川家康への忠義を貫き、

その活躍もあって、無事、一揆は鎮まります。

 

その後も、

武田家との交渉や、

姉川の戦い三方ケ原の戦い

長篠の戦いなどで活躍します。

 

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徳川信康切腹に際して、織田信長との交渉役にあたる酒井忠次

 

徳川家康の長男である徳川信康(松平信康)は、

織田家との同盟のため、織田信長の娘・徳姫と結婚します。

しかし、徳川信康と徳姫は仲が悪かったとされ、

あるとき、徳姫は織田信長に、12通もの手紙に徳川信康に関する悪口を書いて送ります。

そこには、当時織田家と対立関係にあった武田家と内通している

などと書かれており、織田信長は大激怒

この件で、酒井忠次大久保忠世とともに織田信長との交渉役にあたりますが、

交渉はうまくいかず、結局徳川信康は切腹することになります。

(この事件のあらましに関しては、諸説あります)

 

 

井伊直政などとともに徳川四天王と称される酒井忠次

 

酒井忠次は、

本多忠勝榊原康政井伊直政などとともに、

「徳川四天王」と称されます。

 

酒井忠次最年長であり、

その21歳年下本多忠勝榊原康政がいます。

井伊直政は、さらに13歳年下となります。

つまりは、最年少の井伊直政とは35歳も歳が離れていることとなります。

 

酒井忠次は最年長として、

荒っぽい性格だったとされる本多忠勝や井伊直政を

たしなめることがあったようです。

 

また、落ち着いた知性派だったとされる榊原康政も、

若くして次々と責任ある仕事を任されていた井伊直政に対して当初は不満を持っていて不仲だったようですが、

その際も酒井忠次が間を取り持ったとされます。

 

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酒井忠次の最期とその子孫

 

酒井忠次は、

小牧・長久手の戦いなどで活躍、

徳川家家臣の石川数正が逃亡した後は、

徳川家第一の家臣となりました。

しかしそのころには60歳くらいになっており、

眼病のため目がほとんど見えなくなっていたとされ、

長男の酒井家次に家督を譲り、隠居します。

 

そして、1596年に70歳で亡くなりました。

徳川家康が征夷大将軍となるほんの数年前のことでした。

 

その後、酒井家は庄内藩(山形県鶴岡市)の藩主となり、

江戸時代は酒井家が藩主のまま明治維新を迎えます。

 

そして現在、庄内藩主酒井家の19代目である酒井忠順さんは、

松岡物産株式会社の代表取締役社長を務めており、

同時に庄内藩の藩校であった「致道館」由来の

「致道博物館」の理事も務めています。

大河ドラマ「おんな城主 直虎」 人物解説一覧

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