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西郷菊次郎とは? 台湾の宜蘭庁長・京都市長 西郷隆盛・愛加那の息子 子孫について

更新日:

 

2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」に登場する西郷菊次郎

この人物について、

難しい言葉をできるだけ使わずにわかりやすく解説していきます!

 

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父・西郷吉之助(隆盛)と奄美大島

 

西郷菊次郎の出生について語るには、

父である西郷吉之助奄美大島にやってくる話をお伝えしておく必要があります。

 

井伊直弼による「安政の大獄」の時代、

西郷吉之助も幕府に追われる身となります。

西郷吉之助自身や薩摩藩に幕府の手が及ぶことを恐れたため、

西郷吉之助は、奄美大島に逃げ住むこととなります。

(いわゆる「島流し」のような罰ではなく、あくまで隠れる目的でした。

藩からは給料として米が渡されていますし、手紙のやりとりも自由におこなわれています)

 

そこで出会ったのが、西郷吉之助の2人目の妻となる愛加那

奄美大島の名家の娘であった愛加那は、

西郷吉之助の世話をしているうちに仲が深まり、

2人は結婚することとなります。

 

西郷菊次郎と妹の菊子(菊草)が誕生

 

そして、西郷吉之助愛加那の間に2人の子供が生まれます。

 

長男に、西郷菊次郎(さいごうきくじろう)

そして、妹の西郷菊子(菊草)を身ごもります。

※妹の西郷菊子は、のちに大山誠之助大山巌の弟)の妻となります。

 

そんな幸せな時間が過ぎていきましたが、

西郷吉之助が奄美大島に来てから3年ほどのちに、

薩摩藩より鹿児島へ戻るようにと命令が下ります。

 

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鹿児島にもどる西郷吉之助

 

薩摩藩には「島妻制度」というものがあり、

島での妻は鹿児島に連れて帰ることが出来ません。

 

そのため、西郷吉之助は、

泣く泣く愛加那西郷菊次郎、そしてまだお腹に中にいた菊子を島に残して、

鹿児島に戻っていきます。

 

遠島(島流し)となった吉之助に会いに行こうとする愛加那や西郷菊次郎

 

鹿児島に戻った西郷吉之助でしたが、

島津久光に対して反対意見を堂々と述べるなどしたため、

島津久光の怒りを徐々に買っていきます。

 

そして、島津久光が兵を連れて京都に上る計画を実行しようとする際、

西郷吉之助らは島津久光の行列より先に出発し、「下関で待て」と命令されていましたが、

過激な浪人や志士たちを落ち着かせるために、命令を破り独断で大阪に出発してしまいます。

さらには、島津久光の耳には「西郷吉之助が浪人・志士たちをあおっている」と伝えられ、

島津久光は激怒。

西郷吉之助は、徳之島への遠島(島流し)の刑となります。

 

徳之島は奄美大島より近かったため、

西郷吉之助の遠島の件を聞いた愛加那は、

徳之島まで会いに行ったとされます。

 

しかしながらその直後、

西郷吉之助はさらに厳しい沖永良部島への遠島を命じられます。

 

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鹿児島の西郷家で育てられる西郷菊次郎

 

その後、西郷吉之助は、3人目の妻となる岩山糸(西郷糸子)と結婚。

鹿児島を離れることが多かった西郷吉之助の代わりに、

岩山糸は西郷家を守ることに力を尽くします。

 

そして、西郷菊次郎が8歳のころ、

鹿児島の西郷家に引き取られ、育てられます。

これが1869年のことですので、

明治維新直後のことでした。

 

なお、母の愛加那は奄美大島に残り、

生涯、鹿児島の地を踏むことはなかったとされます。

 

 

アメリカへ留学する西郷菊次郎

 

その後、1871年には勉強のため上京しています。

1872年、西郷菊次郎が12歳のときに、

農業を学ぶため、アメリカに留学し、

3年間学んだのちに帰ってきました。

 

西南戦争での西郷菊次郎

 

その後、父・西郷隆盛(吉之助)が中心となって西南戦争が起こり、

薩軍の一員として西郷菊次郎も参戦します。

その戦いで、右足に銃弾を受けてしまい、やむなく切断。

その後は、義足で生活していたとされます。

 

やがて、西南戦争は薩軍の負けが近づき、

父・西郷隆盛も亡くなります。

 

負傷していた西郷菊次郎は、

古くから西郷隆盛に仕えていた永田熊吉に背負われて

明治政府軍に投降します。

そのころ明治政府軍には西郷隆盛の弟・西郷従道がおり、

甥である西郷菊次郎の投降を喜び、永田熊吉に礼を言ったといわれています。

 

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台湾にて台北県支庁長、宜蘭(ぎらん)庁長をつとめる

 

その後西郷菊次郎は、アメリカ留学の経験をもとに、

明治政府の外務省に入ります。

 

そして日本は1894年の日清戦争の後、台湾を手に入れます。

西郷菊次郎は台湾に赴き、台北県支庁長や宜蘭(ぎらん)庁長を務めます。

 

台湾に移動する際に、途中で故郷の奄美大島に寄り、

母の愛加那に会ったとされます。

 

西郷菊次郎は台湾で、

農地の拡大、道路の整備・教育の普及や、

洪水を防ぐための堤防を築くなど(「西郷堤防」と呼ばれています)

住民の生活向上に尽力したと言われます。

 

京都市長となる西郷菊次郎とその子孫

 

その後、日本に戻った西郷菊次郎は、

京都市長となります。

 

西郷菊次郎の子孫で有名なのが、

孫にあたる陶芸家の西郷隆文さん

鹿児島県陶業協同組合の初代理事長、

特定非営利活動法人西郷隆盛公奉賛会の理事長

などを務めています。

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