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お由羅騒動(高崎崩れ)とは? 島津斉彬VS島津久光 島津斉興の後継者争い

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2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」に出てくる「お由羅騒動(高崎崩れ)」について

むずかしい言葉をできるだけ使わずにわかりやすく解説していきます!

 

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「お由羅」は、藩主・島津斉興の側室のこと

 

そもそも、「お由羅」とは何かというと、

当時の薩摩藩主・島津斉興側室の名前です。

(昔は一夫多妻制が認められ、正式な妻を「正室」、そうでない妻を「側室」といいました)

 

このお由羅の方という女性が大きくかかわっているとされているため、

「お由羅騒動」といわれているのです。

お由羅の方の生涯についてはコチラで詳しく解説しています。

 

島津斉興には正室・弥姫(周子)がいましたが、

側室であるお由羅の方を非常に気に入っており、

参勤交代で薩摩と江戸を行き来する度に同行させたともいわれています。

 

そして、お由羅の方は島津斉興との間に3人の子供を生みます。

その子供の中には、「お由羅騒動」の中心となる島津久光もいました。

 

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自分の息子を次の藩主にさせたがるお由羅の方

 

島津斉興の正室・弥姫が亡くなると、

男子を生んでいたお由羅の方は正室のような待遇を受けるようになります。

 

こうして地位が高まっていったお由羅の方は、自分の息子・島津久光を次の藩主にしたいと考えるようになります。

しかし、次の藩主には、正室・弥姫の息子である島津斉彬がなるのが順当なため、

次期藩主をめぐって、島津久光島津斉彬が対立していくこととなります。

 

斉彬を次の藩主にさせたくない島津斉興と調所広郷

 

先ほど説明したように、この騒動をお由羅の方を中心に話していくと、

「お由羅の方という女が後継者争いを引き起こした」

というイメージを持ってしまいがちです。

 

実際、現在でも「お由羅という悪女が引き起こした」というイメージが根強いですし、

当時の薩摩の人々もそう考えていたようです。

 

しかしながら、「お由羅騒動」が起こった原因は、それだけではなかったようです。

 

当時、薩摩藩は膨大な借金を抱えていましたが、

調所広郷という人物の財政改革によって、薩摩藩は黒字化することに成功していました。

※調所広郷の財政改革についてコチラで詳しく解説しています。

 

しかし、次の藩主になるはずの島津斉彬は「蘭癖(らんぺき)」とされていました。

「蘭癖」の「蘭」はオランダのこと。

つまり、オランダなどの西洋の技術や文化に関心が高いということです。

 

西洋技術や文化の導入や研究には莫大な費用がかかり、せっかく回復した財政が悪化するのではないかと考え、

島津斉興と調所広郷は次の藩主に島津斉彬ではなく島津久光をと考えていたようです。

 

しかし、島津斉彬は、江戸の将軍をはじめとした幕府の重要人物たちとも関わりがあったため、

島津久光を藩主に指名することは難しく、

島津斉興は藩主に居座り続けるという形で、島津斉彬に藩主を譲りませんでした。

 

そうこうしているうちに、島津斉彬は藩主になれないまま、40歳を超えます。

当時、後継ぎが元服したら藩主を交代するのが一般的であったため、

このことは異常ともいえることでした。

 

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行動を起こす斉彬派たち

 

島津斉興がなかなか藩主の座を島津斉彬に譲らず、

調所広郷の財政改革による倹約に嫌気がさしていた者が多かったとされます。

そのため、薩摩藩の若手の下級武士たちを中心に、

島津斉興と調所広郷を失脚させ、島津斉彬を藩主にしようと行動する者たちが現れました。

 

そこで助けを求めたのが、幕府の老中である阿部正弘

海外事情に詳しい島津斉彬が薩摩藩主となることを強く望んでいる人物でした。

 

当時、島津斉興や調所広郷を中心に、禁止されている海外貿易(琉球・清国などと)を無断で行っていました。

島津斉彬たちは、阿部正弘に密貿易の件を密告します。

下手をすれば、薩摩藩の存続自体も危ぶまれる行動でした。

 

このため、調所広郷は幕府に呼び出され、事情聴取を受け、その直後に急死します。

島津斉興に責任が及ぶことを恐れて、自ら毒を飲んだともいわれています。

 

この一連の出来事により、調所広郷は亡くなったものの、

島津斉興は何が何でも藩主を島津斉彬に譲るまいという気持ちが強くなったとも言われ、

「島津斉彬を藩主に!」という目的は達成することはできませんでした

 

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暗殺疑惑で斉彬派が多数処罰される

 

調所広郷が亡くなって以降も、

斉彬派と久光派の対立は深まるばかりです。

 

そんな中、島津斉彬の息子が亡くなったため、

お由羅が呪いをかけている!

とのウワサも流れていました。

 

斉彬派の者が島津久光やお由羅の方を襲撃しようとしているというウワサも流れ、

いつ戦いが起こってもおかしくない状況だったとされます。

 

ついには、斉彬派の者が、島津久光やお由羅の方の暗殺計画を立てているとの疑いで捕まってしまいます

切腹となった者、遠島(島流し)となった者、自ら命を絶つ者など、50人以上にものぼったといわれます。

その切腹した者の中には、西郷隆盛とも親交があったとされる赤山靭負がおり、

大久保利通の父・大久保次右衛門は鬼界島(喜界島)に遠島となっています。

 

 

福岡藩に逃げ、幕府の助けをかりる島津斉彬

 

斉彬派が多数処罰される中で、

島津斉彬は福岡藩主・黒田長溥に助けを求めます。

黒田長溥は、前の薩摩藩主・島津重豪の息子で薩摩出身であり、

島津斉彬にとっては親戚にあたる人物です。

そのため、実家である薩摩の騒動を見過ごせなかったのでしょう。

 

黒田長溥は幕府の老中・阿部正弘に助けを求めます。

島津斉彬に薩摩藩主になってもらいたい阿部正弘は、

将軍・徳川家慶より島津斉興に隠居(引退)するよう言ってもらうように頼みます。

 

徳川家慶は隠居を促す際、島津斉興に茶器を渡したとされます。

茶器を渡すことは「隠居してゆっくり茶でも楽しむとよい」という意味が込められているとされます。

将軍から隠居を促されては、さすがに断ることはできなかった島津斉興。

ついには隠居し、島津斉彬が藩主となります。

 

島津斉彬が藩主となることで、お由羅騒動は収束していきますが、

なお、騒動のきっかけとなったとされるお由羅の方が処罰されることはありませんでした。

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