大河ドラマで学ぶ日本の歴史 ~大河ドラマ情報館~

大河ドラマに出てくる人物や出来事、時代背景などについてわかりやすく解説!歴史初心者にも理解してもらえるように、難しい用語を使わずにまとめます!

於一(篤姫)の生涯・西郷隆盛(吉之助)との関係 読み方は「おいち」「おかつ」大河ドラマ「西郷どん」キャストは北川景子

投稿日:

 

2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」に登場する於一(篤姫)について

むずかしい言葉をできるだけ使わずに、わかりやすく解説していきます!

キャストは北川景子さん

スポンサーリンク

 

於一(篤姫)の生い立ち

於一(篤姫)は、

1836年に薩摩国鹿児島にて、

島津家の分家である「今和泉島津家」の当主・島津忠剛の長女として生まれます。

 

尚、島津忠剛の兄は、島津斉興であり、

於一にとって、島津斉彬はいとこにあたります。

 

また、西郷隆盛(吉之助)が1828年生まれですので、

8歳ほど離れていることになります。

 

島津斉彬の養女に

幕府では、「将軍継嗣問題」が起こっており、

次期将軍をめぐって、

一橋慶喜を推す「一橋派」と、紀州慶福を推す「紀州派」が対立していました。

 

島津斉彬は「一橋派」であり薩摩藩の発言力を増し有利に進めるため、

将軍・徳川家定の正室として、島津家の女性を嫁がせようとしました。

そこで、利発だといわれていた於一が選ばれ、

島津斉彬は自分の養女としました。

(於一を徳川家定に嫁がせた理由については、諸説あります)

スポンサーリンク

 

将軍家へ嫁入り

篤姫は、徳川家定に嫁ぐために江戸に入りますが、

紀州派の抵抗にあい、結婚できないまま江戸で約2年間を過ごすことになります。

 

将軍家には公家から正室を迎えるのが本来であるため、

島津斉彬は、姉が嫁いでいた右大臣・近衛忠煕に、

篤姫を養女としてもらいます。

 

また、このころ「安政江戸地震」が起こり、

江戸にいた篤姫も被害に遭っているといわれます。

 

西郷隆盛(吉之助)は、このころ島津斉彬の御庭番として江戸におり、

篤姫の嫁入り道具の調達などにあたっていたといわれます。

 

そして、1856年に、徳川家定に嫁ぎ、大奥に入ります。

 

大奥での篤姫(天璋院)

徳川家定は病弱であったといわれ、

嫁いで2年ほどで亡くなってしまいます。

(このころから「天璋院」と名乗ります)

さらにはその直後に島津斉彬も亡くなってしまいます。

 

「将軍継嗣問題」は紀州派の勝利となり、紀州慶福が14代将軍・徳川家茂となります。

幕府は公武合体(朝廷と幕府を結びつけること)を進めるため、

皇女・和宮が徳川家茂の正室とします。

 

薩摩藩は、天璋院に鹿児島に戻るように申し出ましたが、

天璋院は、そのまま大奥で暮らすことを選びます。

 

スポンサーリンク

 

西郷隆盛に徳川救済を願う

新政府軍が江戸に進軍してきたころ、

天璋院は、徳川家の存続と徳川慶喜の助命を、朝廷や島津家に願います。

新政府軍を率いていた西郷隆盛(吉之助)にも書状を送ります。

 

その後、西郷隆盛(吉之助)と勝海舟が会談。

「江戸無血開城」となります。

 

明治維新後の天璋院

明治維新後、

天璋院は鹿児島には戻らず、徳川家の人間として江戸で暮らします。

1883年、脳出血で倒れ、49歳で亡くなりました。

スポンサーリンク

 

於一の読み方は「おいち」?「おかつ」?

2008年大河ドラマ「篤姫」では「おかつ」

2018年大河ドラマ「西郷どん」では「おいち」と呼ばれるようです。

どちらの読み方もあるようです。

西郷どん 人物解説一覧

スポンサーリンク

-西郷どん

Copyright© 大河ドラマで学ぶ日本の歴史 ~大河ドラマ情報館~ , 2018 All Rights Reserved.