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徳川信康(松平信康)の切腹の理由について、様々な説を紹介!

更新日:

 

徳川家康の長男でありながら、切腹にて命を落としたとされる徳川信康(松平信康)

コチラにて徳川信康(松平信康)の生涯を解説するとともに、

切腹事件について「通説」を解説しました。

しかしながら、この切腹事件については様々な説があるため、

今回は、それらの説を紹介していこうと思います!

 

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まずは「通説」をかんたんに解説

 

まずは、広く知れ渡っている「通説」をかんたんに解説していきます。

 

徳川信康は、織田信長の娘・徳姫と結婚します。

この結婚は、織田家と徳川家の同盟のための、いわば政略結婚でした。

そのため、徳川信康と徳姫は仲が悪く、

徳川信康の母で徳川家康の正室の瀬名(築山殿)とも上手くいっていませんでした。

 

そんな中、徳姫は織田信長に手紙を書きます。

その手紙には、徳川信康と瀬名に関するいわば「チクリ」が12ヶ条も書かれていました。

 

その12ヶ条の中には、

「築山殿(瀬名)が甲斐の医者を愛人にして、ひそかに武田家と通じている」

「徳川信康は気性が荒く、乱暴な振る舞いが多かった」

「盆踊りにて、服装が貧相な者や踊りが下手な者を、面白半分に弓矢で殺した」

「鷹狩りにて、僧侶を縄で縛って殺した(狩りの場で僧侶に会うと獲物が少なくなるといわれおり、腹を立ててため)」

「徳姫との間に生まれる子供が女の子ばかりなことに徳川信康が腹を立てて、夫婦の仲が冷え切っている」

などが書かれていました。

 

これにより、信長は激怒。

徳川家康に、徳川信康と瀬名を殺せと命じます。

織田信長の命令に逆らうことを恐れた徳川家康は、

泣く泣く徳川信康を切腹させ、家臣に瀬名を殺させます。

 

以上が「通説」です。

しかしながら、この事件については様々な説がありますので、

それらをこれから解説していきます。

 

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家康と信康の父子不仲説

 

まずは、家康と信康の仲が悪かったという説から。

 

徳川信康の異母弟である松平忠輝は容姿が醜かったとされ、

徳川家康に嫌われていました。

松平忠輝が7歳のときに家康に会った際には、

「面貌怪異、三郎(松平信康)ノ稚顔ニ似タリ(顔が醜く、信康の幼いころの顔に似ている)」

「おそろしき面魂かな、三郎が幼かりし時に違ふところなかりけり(おそろしい顔だ。信康が幼いころと違うところが無かった)」

と語ったという資料が残されています。

家康のこの発言からは、

松平忠輝を嫌っているだけでなく、

「徳川信康と同じようだ」徳川信康への嫌悪感が読み取れます。

 

また、家康はのちに

「信康が幼いころ、無事に育てばいいと思って育てたため、

大人になってから親や周囲の言うことを聞かなかったため親子関係が悪くなり、

悲劇(つまり切腹事件)を招いてしまった」

と語ったともされます。

 

さらには、家康が浜松城、信康が岡崎城の城主だった際に、

岡崎城に仕えている家臣に「今後は、岡崎に仕えなくてもいい」と指示を出し、

「徳川信康を岡崎城から追い出した後に、信康と連絡をとらない」

という誓約書を信康の家臣たちに書かせ、

岡崎城を家康の家臣だけで固めました。

 

これらにより、家康は自ら信康を追放し、

切腹をさせた、という解釈です。

 

また、この解釈では、

家康は息子の義理の父である織田信長に信康のことを相談していましたが、

信長は「家康の思い通りにせよ」とだけ答え、

「信康を殺せ」とは語っていないとされています。

 

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浜松 VS 岡崎の派閥抗争説

 

その当時の徳川家は

家康がいる浜松城

信康の岡崎城に分かれていました。

 

戦では、

浜松城の家臣たちは前線を任され武功を挙げて、多大な褒美や出世を得ていましたが、

岡崎城の家臣たちは後方支援や織田家との調整など、手柄とならない役目ばかり負っていました。

 

それにより、岡崎城の家臣たちの不満が爆発し、浜松城や家康と対立するようになります。

岡崎城主であった徳川信康は、岡崎城派のトップに担がれ、

岡崎城の家臣たちと共に父・徳川家康と対立することとなります。

 

徳川家の分裂を恐れた徳川家康は、

岡崎城派のリーダーであった徳川信康を切腹させることで事態を収めた、

というのがこの説の解釈です。

 

酒井忠次と石川数正の対立説

 

古くから徳川家康に仕えていた酒井忠次と、

岡崎城で徳川信康に仕えていた石川数正とが

対立したという説です。

 

酒井忠次が、石川数正を追い落とそうとした行動が、

徳川信康と瀬名の死という結果を招いた、という解釈です。

 

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徳川家康が影武者と替わっていた説

 

この説は、ストーリーとしては非常に面白いのですが、

根拠が薄いようです。

 

徳川家康は徳川信康を生んだ後に

桶狭間の戦いで戦死。

その後、影武者である別人が徳川家康として生き続け、

その影武者にとって信康は実の息子ではないため、

自分の息子に後を継がせるために、信康を殺した。

 

という説です。

ドラマや映画にしたら面白そうなストーリーですね。

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