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村田新八とは?(むらたしんぱち) 西郷隆盛を兄と慕った男 大河「西郷どん」キャストは堀井新太(子役 加藤憲史郎くん)

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村田新八(むらた しんぱち)について、むずかしい言葉をできるだけ使わずにわかりやすく解説していきます!

2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」のキャストは堀井新太さん(子役 加藤憲史郎くん)

 

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村田新八(むらた しんぱち)の生い立ち

 

村田新八(むらた しんぱち)は、

1836年、薩摩藩鹿児島城下加治屋町にて生まれます。

8歳年上の西郷隆盛(吉之助)と同じ町で育っており、

幼いころより兄のように慕っていました。

薩摩藩では「郷中教育」といい、年上が年下の子供を指導する仕組みがありましたので、

西郷隆盛は村田新八を幼いころより指導していたと思われます。

 

 

喜界島へ島流しとなる村田新八

 

そして時は流れて1862年。

薩摩藩の島津久光(藩主ではないが実権を握っていた)が、

挙兵して京都に上ろうとした際に、

先発隊として出発する西郷隆盛に、村田新八はついていきます。

 

西郷隆盛は、島津久光より「下関で待て」と命令されていましたが、

島津久光の挙兵を聞いて過激な行動を起こそうとしている者が大坂・京都に集まっていると知り、

その者たちを抑えようと、命令をやぶって大坂に向かってしまいます

それに村田新八も同行しています。

 

そして、命令をやぶっただけでなく、「西郷隆盛が過激な者達をあおっている」などと有村俊斎(海江田信義)から報告を聞いたため、

島津久光は大激怒。

西郷隆盛を徳之島に遠島(島流し)、

村田新八をさらに厳しいとされる鬼界島(喜界島)に流します。

 

それから2年後、

西郷隆盛がゆるされて鹿児島にもどる際に、

途中で鬼界島に寄って、村田新八も一緒に連れて帰りました

 

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西郷隆盛とともに明治維新へ進む村田新八

 

その後、村田新八は西郷隆盛と共に明治維新へ進んでいきます。

 

その中で、桂小五郎(木戸孝允)や長州藩主の毛利敬親坂本龍馬などとも関わっています。

さらに、のちに初代総理大臣になる伊藤博文とともに上海を訪問しています

薩長同盟に関わっているため、幕府側には要注意人物とみなされて、新撰組に襲撃されて軽傷を負うこともありました。

 

そして、鳥羽・伏見の戦いに参加、

その後も、東征大総督府(旧幕府勢力を倒すための新政府軍の司令官のこと)となった西郷隆盛の下で戊辰戦争を戦います。

 

 

大久保利通らとともに岩倉使節団としてヨーロッパへ

 

そして明治新政府では、

岩倉具視を中心とした岩倉使節団がヨーロッパへ視察をしますが、

村田新八も大久保利通らと共に参加します。

 

視察先のパリではオペラに何度も通い、

アコーディオンを持ち帰って、その後の西南戦争でも弾き鳴らしていたといわれています。

 

そして、視察が終わって日本に帰ってみると、

西郷隆盛は征韓論で負けたことにより、明治政府を去って鹿児島に戻っていました

 

村田新八は、西郷隆盛に会うために鹿児島に戻ります。

そして、そのまま新政府を捨てて鹿児島に留まることにします。

これを聞いた大久保利通は、非常に残念がったとされています。

 

そして、鹿児島にて私学校を創設、

自らも教育に当たっています。

 

西南戦争で、西郷隆盛と共に戦死

 

その後、西郷隆盛を中心として西南戦争が起こります。

村田新八は西郷隆盛の元で、軍隊の指揮長をつとめるなど活躍します。

 

しかし、戦況は悪化。

負けが確定的になり、西郷隆盛は自決します。

そして、それを見届けた村田新八も、その後新政府軍に突撃し、戦死しています。

 

村田新八の息子・村田岩熊

 

村田新八には、村田岩熊という息子がいました。

村田岩熊は、村田新八がヨーロッパに視察に行っている同じころ、

アメリカに留学しています。

 

その後、西南戦争に村田新八とともに参加。

村田新八より先に戦死しています。

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