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近衛忠煕とは?(このえただひろ)西郷吉之助・島津斉彬・篤姫・幾島・月照との関係 大河「西郷どん」キャストは国広富之

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2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」に登場する

近衛忠煕(このえただひろ)について

むずかしい言葉を使わずに、わかりやすく解説していきます!

大河ドラマのキャストは国広富之さん。

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近衛家について

近衛忠煕について説明する前に、

近衛家について知っておきましょう。

 

近衛家は古くから、摂政・関白をつとめてきた公家です。

摂政・関白を輩出してきた5つの公家を「五摂家」といいますが、

その五摂家の筆頭となっていた家柄です。

 

近衛忠煕の生い立ち

近衛忠煕は1808年に生まれます。

父は近衛基前。

 

公家であったため、京都で育ち、

若いころより、朝廷より様々な官位をもらいます。

 

そして、薩摩藩主・島津斉興の養女である郁姫と正室として迎えます。

ちなみに、郁姫は実際は島津斉興の妹でしたが、

近衛忠煕に嫁ぐために、島津斉興の養女という形をとりました。

二人の結婚により、近衛家と島津家の関係は親密になり、

その後、幕末の動乱に大きな影響を与えていきます。

 

郁姫が嫁ぐ際に同行したのが、のちに篤姫と大きくかかわっていく幾島でした。

幾島は、郁姫のもとで近衛家で働き、

郁姫が亡くなった後も近衛忠煕に仕えていました。

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篤姫を養女としてむかえる近衛忠煕

薩摩藩主の島津斉彬は、

養女の篤姫を将軍・徳川家定に嫁がせようとしていました。

そのため、公家の娘であるという形式をとった方が有利だとされ、

篤姫を近衛忠煕の養女とします。

 

将軍継嗣問題

幕府では「将軍継嗣問題」といわれる、

徳川家定の次の将軍をめぐって争いが起こっていました。

 

一橋家当主の一橋慶喜を推す一橋派島津斉彬徳川斉昭松平慶永

紀州藩主・徳川慶福を推す南紀派井伊直弼本寿院

が対立します。

 

近衛忠煕は薩摩藩と関係が深かったため、

一橋派として活動します。

 

このころ近衛忠煕は、のちに西郷吉之助と入水自殺を図る月照とも和歌を通して関わりがあり、

月照西郷吉之助は、一橋慶喜を次期将軍にするよう奮闘します。

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安政の大獄

しかし、その後、島津斉彬が急死。

大老(臨時の幕府の最高職)となった井伊直弼の決定により、

徳川慶福第14代将軍・徳川家茂となります。

 

さらには、井伊直弼は朝廷の許可を得ずに独断で日米修好通商条約を結びます。

 

それに反発するため、

公家たちは水戸藩に「戊午の密勅」を出し、それに近衛忠煕も関わりました。

 

この「戊午の密勅」には、

井伊直弼が日米修好通商条約を結んだことを批判する内容などがかかれていました。

さらには、幕府を通さずに朝廷から直接水戸藩に出されたため、

井伊直弼は激怒します。

 

この「戊午の密勅」がきっかけとなり、

井伊直弼の政治に反発する者たちを弾圧する「安政の大獄」がおこなわれたといわれます。

 

近衛忠煕も弾圧の対象となり、

失脚、謹慎処分となります。

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その後の近衛忠煕

桜田門外の変により井伊直弼が殺害されると、

近衛忠煕は謹慎を解かれ、復帰します。

 

1862年には、関白の座に就いていますが、

翌年には辞めています。

 

それから、明治維新後も長生きし、

1898年(明治31年)に91歳で亡くなりました。

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