大河ドラマで学ぶ日本の歴史

大河ドラマに出てくる人物などを、むずかしい言葉をできるだけ使わずにわかりやすく解説!

桂小五郎(木戸孝允)の生涯 西郷吉之助(隆盛)や薩摩藩との関係を中心に 大河ドラマ「西郷どん」キャストは玉山鉄二

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2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」に登場する

桂小五郎(木戸孝允)の生涯について、

西郷吉之助(隆盛)や薩摩藩との関係を中心に、むずかしい言葉をできるだけ使わずにわかりやすく解説していきます!

大河ドラマのキャストは玉山鉄二さん

 

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桂小五郎(木戸孝允)の生い立ち

桂小五郎は、

1833年に長州藩の藩医の長男として生まれます。

1828年生まれの西郷吉之助(隆盛)より約5歳年下ということになります。

 

7歳で、桂家の養子となり、武士の身分となり、

吉田松陰の教えを受け、10代のころより長州藩主・毛利敬親より高い評価を受けています。

 

幼いころは病弱でしたが、

剣術修行に人一倍努力し、実力をつけていきます。

そして、剣術修行を目的とした江戸留学の許可を得て、

三大道場のひとつといわれた練兵館に入門。

入門1年で塾頭にまでなっています。

 

ペリー来航時には、実際に黒船を目にし、

その後は西洋兵学や造船術、英語など、西洋知識を積極的に吸収していくようになります。

 

 

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禁門の変(蛤御門の変)

長州藩の尊王攘夷派のリーダー的存在となるも、

一橋慶喜島津久光など公武合体派により、長州藩を中心とした尊王攘夷派は京都を追われます(八月十八日の政変)

 

長州の過激派たちは、京都の町に火をかけて天皇を長州に連れていく計画を密かに立てるも、

新選組に情報が伝わってしまい、池田屋に集まっている際に襲撃に遭います(池田屋事件)

 

このとき、桂小五郎は、事件の前、池田屋に早くに到着していたものの、

まだメンバーが集まっていなかったため、別の場所に行っていた際に事件が起こったため、

難を逃れたといいます。

 

池田屋事件に刺激され、長州藩は挙兵して京都に向かいます。

 

挙兵には桂小五郎は反対していましたが、

来島又兵衛など急進派を抑えることができず、挙兵は実行されてしまいます。

 

そして、京都御所の「蛤御門」という門の付近で、長州軍と会津・桑名軍が戦闘を開始。

来島又兵衛らは、筑前藩が守る中立売門を突破して御所内に入るも、

乾門を守る西郷吉之助率いる薩摩軍が援軍に駆け付けたため、長州は敗退。来島又兵衛は自害します。

 

負けとなった長州勢は、京都の町に火をかけながら逃げたため、京都は広い範囲で焼けてしまいます。

この大火は「どんどん焼け」と呼ばれています。

 

この戦いより、長州は自分たちを負けに追いやった薩摩藩や会津藩を憎むようになり、

履物に「薩賊会奸」と書いて、踏みつけていたといわれています。

 

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京都での潜伏生活

禁門の変ののち、朝敵(朝廷の敵)となった長州藩に対し、

幕府は出兵を計画します(第一次長州征伐)

 

長州藩の中心にいた桂小五郎は、そのころに政権の座を降り、

正体を隠して京都に潜伏し、情報収集を行うようになります。

 

その後、長州藩内でのクーデターに成功した高杉晋作大村益次郎らは、

京都に隠れている桂小五郎を探し出し、長州藩のリーダーとして迎え入れます。

 

 

薩長同盟

朝敵となって窮地に陥っていた長州藩は、

土佐藩の坂本龍馬中岡慎太郎の仲介で、

薩摩藩との同盟に向けての会談を行うこととなります。

 

桂小五郎は、長州藩の代表として参加。

薩摩藩の代表は、西郷吉之助(隆盛)

 

当初、長州藩の下関で会談を行う予定でしたが、

西郷吉之助を乗せた船は下関方面に向かいますが、

下関を通り過ぎて京都に行ってしまいます。

 

これに対して、桂小五郎は大激怒したようですが、

坂本龍馬や中岡慎太郎のとりなしにより、

京都にある小松帯刀の屋敷で会談を行う運びとなりました。

 

長州藩のメンツを保つため、

薩摩藩の方から同盟の申し入れをしてほしかったのですが、

西郷吉之助からの申し入れはいっこうになく、

会談が始まって10日以上たっていました。

 

このとき、坂本龍馬が西郷吉之助を説得し、

薩摩藩の側から同盟の話を切り出すこととなったともいわれています。

 

その後、第二次長州征伐が起こりますが、

同盟により薩摩藩を経由して西洋の武器や軍艦を手に入れていた長州藩は、幕府軍を撃退することに成功します。

 

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明治維新後

その後、長州と薩摩を中心として、幕府を倒して新政府を樹立。

木戸孝允(桂小五郎)は岩倉具視から政治的見識を買われ、新政府の中心人物となります。

 

木戸孝允は、

・五箇条の御誓文

・版籍奉還・廃藩置県

・四民平等

など、明治政府の政策に尽力していきます。

 

岩倉使節団の副使としてアメリカやヨーロッパを視察。

日本に戻るも、明治政府に不満を持つようになり、政府中心から離れていきます。

(病気だったともいわれています)

 

その後、西郷隆盛(吉之助)を中心として西南戦争が勃発。

木戸孝允は、明治天皇とともに京都に向かいますが、

病気が悪化、京都にて亡くなります。(享年45)

 

病床で、「西郷、いいかげんにしないか」

という言葉を発したとも伝わります。

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