大河ドラマで学ぶ日本の歴史

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勝海舟(麟太郎)と西郷吉之助(隆盛)の関係をわかりやすく! 出会いから江戸無血開城まで 大河ドラマ「西郷どん」キャストは遠藤憲一

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2018年NKH大河ドラマ「西郷どん」に登場する勝海舟。

勝海舟(麟太郎)西郷吉之助(隆盛)との関係について、

むずかしい言葉をでいるだけ使わずに、わかりやすく解説していきます!

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勝海舟(麟太郎)と西郷吉之助(隆盛)の出会い

勝海舟と西郷吉之助の出会いは、1864年だとされます。

 

 

勝海舟はそのころ軍艦奉行として

「神戸海軍操練所」という海軍の養成機関を設立し、

自らも私塾を開いて、航海術などを教えていました。

坂本龍馬らもここで勝海舟より学んでいます。

 

一方の西郷吉之助は

禁門の変(蛤御門の変)にて薩摩軍を指揮して長州軍を撃退し、

その後、朝敵(朝廷の敵)となった長州藩を討伐に向けた「長州征伐」では、幕府軍の参謀(総司令官)となっています。

 

幕府軍の司令官となった西郷吉之助は、

勝海舟と会うことを勧められ、

大阪で会うこととなりました。

 

アメリカに渡ったこともある勝海舟の考えは、

西郷吉之助に大きな影響を与えました。

 

会談後、

勝海舟を絶賛する手紙を大久保一蔵(利通)へ送ったとされます。

 

また、このころ、勝海舟の塾生だった坂本龍馬は、

勝海舟の紹介で西郷吉之助に会っています。

 

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神戸海軍操練所は閉鎖、勝海舟は謹慎に

革新的な勝海舟は、幕府の保守派から危険だとされており、

池田屋事件(京都に火をかけて天皇を長州へ連れ出す計画を、新選組が事前に食い止めたもの)に勝海舟の塾生がいたこともあって、

神戸海軍操練所は閉鎖、勝海舟は軍艦奉行を解かれて謹慎となります。

 

塾生だった坂本龍馬などのその後を案じて、

薩摩藩に彼らを託すことにします。

 

謹慎となった勝海舟はその後しばらく表には出てきませんが、

勝海舟の計らいによって薩摩藩の援助を受けることとなった坂本龍馬らが

その後の薩長同盟に貢献していくこととなります。

 

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江戸無血開城

坂本龍馬らのはたらきもあり、

薩摩藩と長州藩は手を結ぶことになり、

倒幕に向けての動きが加速していきます。

 

鳥羽・伏見の戦いで将軍・徳川慶喜が大阪から江戸へ逃げ帰ると、

新政府軍は江戸へ進軍していきます。

 

西郷吉之助は、

新政府軍の東征大総督府下参謀に任命され、

新政府軍を指揮する立場にいました。

 

このとき、幕府側にいた勝海舟は、

幕府代表として西郷吉之助と会談。

江戸総攻撃の取りやめとを約束させ

戦うことなく江戸城を明け渡すこととなりました(江戸無血開城)

 

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明治維新後

明治維新後、

勝海舟は明治政府より要職を与えられますが、

あまり気が進まず、役職を得てもすぐに辞めるなどを繰り返しました。

 

一方、朝敵となった徳川慶喜の赦免に向けて尽力し、

長年にわたり徳川家を守り続けました。

 

西郷隆盛は、西南戦争で戦死。

逆賊となった西郷隆盛の名誉回復にも尽力し、

上野公園の西郷隆盛像建立も、勝海舟が明治政府からの許可を得ることで実現したとされます。

 

そして勝海舟は、1899年に亡くなります。

享年75。

最期の言葉は「コレデオシマイ」だったとされます。

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