大河ドラマで学ぶ日本の歴史

大河ドラマに出てくる人物などを、むずかしい言葉をできるだけ使わずにわかりやすく解説!

井上馨(いのうえ かおる)についてわかりやすく!伊藤博文や鹿鳴館との関係 大河ドラマ「西郷どん」キャストは忍成修吾

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2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」に登場する

井上馨(いのうえ かおる)という人物について、

難しい言葉をできるだけ使わずに、わかりやすく解説していきます!

キャストは忍成修吾さん

 

西郷どん 人物解説一覧

 

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井上馨の生い立ち

井上馨は、1836年に長州藩士の次男として生まれます。

西郷隆盛(吉之助)が1828年生まれですので、井上馨が約8歳年下となります。

 

井上馨は長州の藩校・明倫館で学び、さらに江戸で蘭学を学んでいます。

そのころ、のちに初代内閣総理大臣になる伊藤博文に出会い、

藩主・毛利敬親の小姓(身の回りの雑用係)にもなっています。

 

 

井上馨と尊王攘夷

井上馨はしだいに尊王攘夷の考えに染まり、

1863年には、高杉晋作伊藤博文らとともに、「イギリス公使館焼討ち」を実行するなど

過激な行動をとるようになっていきます。

 

その後、伊藤博文らとともにイギリスに留学。

(幕府の許しは得ていませんので、密航という形でした)

 

進んだイギリスの文明を目の当たりにした井上馨は、攘夷(武力で外国を追い払う)は不可能と考え、開国論に考えを変えていくことになります。

 

そのころ、長州藩は「攘夷」として、関門海峡を通る外国船を砲撃。

それに怒ったイギリス・フランス・オランダ・アメリカとの間で戦いが起こりました(下関戦争)

 

下関戦争のことを聞いた井上馨は、伊藤博文と共に急いで帰国。

和平交渉に尽力することになります。

 

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井上馨と次長州征伐

長州藩は、禁門の変ののちに朝敵(朝廷の敵)となり、

幕府は長州の征討のため、兵を挙げようとします。(第一次長州征伐)

 

そのとき、長州藩内では、戦うか、恭順するか、など意見が分かれます。

井上馨は、武備恭順を強く主張したため、襲撃され重傷となります。

 

回復するも謹慎となりますが、

高杉晋作や伊藤博文らとともにクーデターを決行(功山寺挙兵)

 

長州藩内での実権を握っていき、

のちの薩長同盟や倒幕へとつながっていきます。

 

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明治維新後の井上馨

明治維新後は、木戸孝允(桂小五郎)の引き立てで大蔵省に入ります。

 

大久保利通や木戸孝允・伊藤博文が岩倉使節団として欧米視察に出ていった際には、井上馨は大蔵省の事実上の長官となり、権勢をふるいます。

西郷隆盛(吉之助)とともに、大久保利通らが留守中の明治政府の中心人物となっていきます。

 

しかしながら、明治政府は秩禄処分や地租改正などもうまくいかず、厳しい財政難となり、

文部省や司法省への予算を削減します。

 

それにより、司法省の江藤新平らと対立。

江藤新平は、尾去沢銅山汚職事件を追及し、井上馨を辞職させます。

 

井上馨による外交

井上馨は辞職後、のちの三井物産となる「先収会社」を設立。

しばらくは実業家として活動するも、伊藤博文による要請により政界に復帰します。

 

復帰後は外交を主に行います。

 

1876年には朝鮮との間に日朝修好条規を締結。

その後、経済を学ぶため欧米に渡りますが、西南戦争大久保利通暗殺などにより日本が情勢不安となると、帰国しています。

 

それからは、江戸幕府が外国と結んだ不平等条約の改正に尽力。

欧化のために、鹿鳴館帝国ホテルの建設を行います。

 

伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任すると、

井上馨は初代外務大臣に就任。

それからも条約改正の実現を目指します。

 

しかしながら、条約改正のために、裁判に外国人判事を任用するなどの条件を入れようとしたため、

反対にあい、外務大臣を辞職することとなります。

 

その後の井上馨

外務大臣辞職後も、

内務大臣や大蔵大臣などを歴任します。

 

伊藤博文内閣が倒れた後は、

姻戚関係のある桂太郎を首相に推薦。

桂政権では、日露戦争の開戦を反対しつづけています。

 

のちに脳出血のため体の一部に麻痺が残り、その後は車イスで生活することなります。

そして、1915年に亡くなります。

享年79。

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