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今川氏真(うじざね)とは?徳川家康や早川殿との関係やその最期・子孫 大河「直虎」のキャストは尾上松也

更新日:

 

2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に登場する今川氏真(いまがわうじざね)

尾上松也がキャストを演じるこの人物について、

難しい言葉をできるだけ使わずにわかりやすく解説していきます!

 

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今川氏真(龍王丸)の生い立ち

 

今川氏真(龍王丸)は、

今川義元定恵院(武田信虎の娘)の長男として生まれます。

当時、今川家は駿河(静岡県静岡市)を中心として強い勢力を持っていました。

 

今川氏真は、相模国(神奈川県あたり)を治めていた北条氏康の娘・早川殿と結婚します。

このことにより、今川家と北条家との同盟が成立、

今川氏真の母が武田家の者でであるように、武田家とも同盟関係にあったため、

今川・武田・北条による甲相駿三国同盟が成立します。

 

このことにより、

今川家にとって東と北は安全となったため、

京都を目指して西に侵攻していくこととなります。

 

桶狭間の戦いで父・今川義元が討ち死に

 

今川義元は、京都に入るため、

西の織田家に攻めていきます。

圧倒的に兵力差があったため、

今川家の勝利と予想されていましたが、

織田信長が奇襲により、今川義元の首を取ります。

これが有名な「桶狭間の戦い」です。

 

この敗戦により、今川家は大混乱。

桶狭間の戦いの前に今川家の家督を継いでいた今川氏真は、

この危機的状況の中で今川家のかじ取りを迫られることとなります

 

まだまだ政治経験の浅い今川氏真は、

祖母である寿桂尼の後見を受けていたとされます。

 

徳川家康の裏切り

 

当初、松平家(のちの徳川家)は今川家に従っており、

幼いころの徳川家康は、人質として駿府に置かれていました。

しかし、徳川家康は、桶狭間の戦いの混乱に乗じて、

岡崎城に入って独立してしまいます

さらには、今川家と敵対関係にあった織田家と同盟を結んでしまいます。

 

 

 

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今川氏真と井伊家との関係

 

井伊家が治めている井伊谷は、裏切った徳川家康がいる岡崎に近く、

今川家の防衛にとって重要な土地であったため、

井伊家に今川家の手が及ぶこととなります。

 

井伊直政(虎松・万千代)の父である井伊直親は、

今川家への謀反を企てたとされ、今川家家臣の朝比奈泰朝によって殺されてしまいます。

その後、井伊家は井伊直虎が継ぐこととなりますが、

井伊家の家老の小野政次に井伊家を乗っ取らせるようけしかけるなど、

井伊谷を今川家の思い通りにしようとします。

 

武田信玄の侵攻により、「大名としての」今川家滅亡

 

今川義元の娘・嶺松院

武田信玄の息子・武田義信は結婚しており、

このことによって今川家と武田家の同盟関係は保たれていました。

しかしながら、駿河への侵攻したかった武田信玄は、

反対する武田義信を自害させてしまいます。

 

このことにより、今川家と武田家の同盟は破られてしまい、

武田信玄は駿河に攻めてくることになります。

 

このころ、今川氏真は政務を家臣に任せて歌会や茶会・蹴鞠(けまり)など遊んでいたとされ、

家臣たちからの信頼も落ちており、

武田家の侵攻を食い止めるだけの力はなく、

駿河は武田家に占拠され、

掛川城に逃げることとなります。

 

しかしながら、この掛川城も徳川家康によって包囲されてしまいます。

掛川城城主であった朝比奈泰朝の奮戦により半年は持ちこたえ、

武田信玄の攻撃が徳川家康に向くようになたった際に、

今川氏真は徳川家康と和睦を結び、

掛川城を明け渡してしまいます。

 

これにより、今川家は領地を全て失ってしまい、

「大名としての」今川家は滅亡してしまいます。

 

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その後も生きながらえる今川氏真

 

先ほど「大名としての」今川家は滅亡した、といいましたが、

この後も、今川氏真は生き続け、今川家は続いていくこととなります。

 

掛川城を明け渡した後、まずは北条家に身を寄せ、小田原でしばらく暮らします。

 

また、そのころ、父の仇である織田信長に

蹴鞠を披露したとも伝えられています。

 

その後、徳川家康のもとに入ります。

長篠の戦い後、徳川家と武田家は諏訪原城にて攻防戦を行いますが、

そのとき今川氏真は、徳川方として戦っています。

その戦いに勝利したのちに、諏訪原城牧野城と改名され、

しばらくの間、今川氏真が城主を務めることとなります。

 

なお、そのころ、元今川家家臣の朝比奈泰勝

徳川家康の家臣となっています。

 

 

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京都で文化的に平和に過ごす今川氏真

 

牧野城の城主としての期間は非常に短く、

そのころ髪を剃って宗誾(そうぎん)と改名したとされます。

 

その後、京都に移住。

公家などと交流し、得意の和歌などに興じて文化的に過ごしていたとされます。

 

今川氏真の晩年とその子孫

 

江戸幕府が開かれたのち、

今川氏真は、品川に屋敷を与えられて、晩年を過ごしたとされます。

そして、1615年、77歳で亡くなりました。

 

今川氏真の子孫たちは、

公家文化などに精通していることを活かし

朝廷をもてなす職について、江戸幕府で活躍し続け、

その後も今川氏真の血は受け継がれていくこととなります。

大河ドラマ「おんな城主 直虎」 人物解説一覧

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