大河ドラマで学ぶ日本の歴史

大河ドラマに出てくる人物などを、むずかしい言葉をできるだけ使わずにわかりやすく解説!

別府晋介(べっぷ しんすけ)についてわかりやすく解説!桐野利秋(中村半次郎)との関係や西郷隆盛を介錯する壮絶な最期 大河ドラマ「西郷どん」キャストは篠原悠伸

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2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」に登場する

別府晋介(べっぷ しんすけ)という人物について、

むずかしい言葉をできるだけ使わずに、わかりやすく解説していきます!

ドラマの別府晋介役キャストは篠原悠伸さん

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別府晋介(べっぷ しんすけ)の生い立ち

別府晋介(べっぷ しんすけ)は、1847年に薩摩藩士の次男として鹿児島にて生まれます。

西郷隆盛が1828年生まれですので、約19歳差です。

 

いとこに桐野利秋(中村半次郎)がおり、10歳くらい離れていますが、兄弟以上に仲が良かったようです。

 

戊辰戦争での活躍

時代は進んで1868年。

新政府軍と旧幕府勢力との戦い「戊辰戦争」がはじまります。

 

西郷隆盛らの活躍により新政府軍は勝ち進み、「江戸無血開城」で江戸城が明け渡されます。

しかし、東北の諸藩などが新政府に抵抗し続けていました。

 

そのため、新政府は東北に進軍。

このとき、別府晋介は新政府軍として参加し、

白河口二本松会津若松など現在の福島県にて戦います。

 

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廃藩置県と御親兵

戊辰戦争ののち、

別府晋介は鹿児島常備隊の小隊長になります。

 

そのころ、新政府は「廃藩置県」を行おうとしていました。

中学校で習ったこの「廃藩置県」はざっくり言うと、

これまで藩ごとにバラバラ行っていた政治を、明治政府中心(中央集権)にするための政策です。

 

しかし廃藩置県は、薩摩藩の島津久光などこれまで藩政治の中心だった者たちから、強く反対されることが予想されます。

 

そのため明治政府の山県有朋らは、

天皇や明治政府の護衛のためとして「御親兵」を結成。

薩摩藩・長州藩・土佐藩から兵が集められ、

西郷隆盛や土佐藩の板垣退助も加わります。

 

表向きは「天皇や明治政府の護衛」ですが、

御親兵には

「西郷隆盛を明治政府に戻す」

「薩摩藩など諸藩が廃藩置県に反対できないようにする」

という目的があったといわれます。

 

御親兵には、別府晋介の鹿児島常備隊の小隊も編入され、

西郷隆盛とともに東京へ上ります。

 

西郷隆盛とともに鹿児島に下野

別府晋介や西郷隆盛が明治政府に入ったしばらく後、

明治政府内では、日本との国交を拒否して開国しない朝鮮への対応について意見が対立します。

 

ここで出てくるのが「征韓論」という言葉。

「征韓論」は、朝鮮を武力で開国させようという主張のことです。

なお、西郷隆盛が征韓論の中心人物とされていますが、西郷隆盛は武力ではなく交渉で開国せるべきだと主張していました。

 

このとき、別府晋介は西郷隆盛の命令で、朝鮮半島へ視察に行っています。

変装して視察していたといわれます。

 

その後、西郷隆盛を朝鮮に派遣して交渉することが決定されますが、

そのころ欧米を視察しに出ていた岩倉使節団の岩倉具視木戸孝允大久保利通が急に帰国し、強く反対します。

 

そのため、西郷隆盛の朝鮮派遣は中止に。

西郷隆盛は明治政府を辞め、鹿児島にもどってしまいます。

 

このとき、西郷隆盛を慕う薩摩藩出身の者が一緒に鹿児島に戻っており、

別府晋介や桐野利秋(中村半次郎)も辞職してついていっています。

 

別府晋介は少佐の地位を得ていましたが、

それを投げうってのことでした。

 

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西南戦争、別府晋介の壮絶な最期

別府晋介や西郷隆盛が鹿児島に帰ったころ、

明治政府により士族(江戸時代の武士)の特権が次々に廃止され、士族の不満が高まり、各地で反乱が起こっていました。

 

西郷隆盛が帰った鹿児島でも、士族の不満は高まりをみせていました。

西郷隆盛は鹿児島で私学校を設立。

鹿児島の士族が暴走することを防ぐためだったともいわれており、別府晋介も設立に貢献します。

 

しかし、

私学校では軍事訓練を行っており、

さらには西郷隆盛という戊辰戦争での勝利に貢献した英雄がいたため、

新政府は鹿児島の士族が反乱を起こすのではないかと警戒していました。

 

そのため明治政府は、

薩摩出身の中原尚雄らをスパイとして鹿児島に送ります。

 

それがバレて、さらには明治政府が西郷隆盛を暗殺していると考えた鹿児島の士族たちは大激怒。

その後の西南戦争へとつながっていきます。

 

西郷隆盛らは武装して熊本へ北上。

途中の川尻(現在の熊本市南区)にて、別府晋介が隊長をつとめる隊が、熊本鎮台(熊本を守る明治政府の軍)に遭遇。

このときの戦いが、西南戦争の始まりともいわれます。

 

その後、別府晋介は、

篠原国幹・村田新八らとともに熊本城を包囲します。

 

しかし、難攻不落といわれる熊本城を落とすことができず、

さらには田原坂の戦い(現在の熊本市北区)などで敗北が続きます。

 

別府晋介は兵を増やすため鹿児島に戻り、

1500名を率いて再び北上するも、

萩原堤(熊本県八代市)での戦いで敗れ、足を負傷。

 

歩くこともできない状態で、かごに乗って移動しながら奮戦するも、敗北が続き鹿児島に退きます。

 

西郷隆盛らは、鹿児島の鶴丸城(薩摩藩の城)のうしろにある「城山」に陣を構えますが、

明治政府軍は城山を包囲し、総攻撃を開始。

集中砲火を浴びせます。

 

銃弾を受けた西郷隆盛は覚悟を決め、

「晋どん、もうここらでよか」

と、別府晋介に切腹の介錯を願いました。

 

別府晋介は、介錯ののちに自刃。

享年31。

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