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有村俊斎(海江田信義)とは?西郷隆盛失脚・薩英戦争(生麦事件)の原因だった? 大河ドラマ「西郷どん」キャストは高橋光臣(子役 池田優斗)

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NHK大河ドラマ「西郷どん」に登場する有村俊斎(ありむら しゅんさい)

海江田信義(かいえだ のぶよし)ともいい、ドラマでのキャストは高橋光臣(子役 池田優斗)です。

今回は、有村俊斎(海江田信義)について、むずかしい言葉をできるだけ避けてわかりやすく解説していきたいと思います!

 

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有村俊斎(海江田信義)の生い立ち

有村俊斎は、1932年に薩摩藩士の父・有村仁左衛門兼善の次男として生まれます。

11歳のころに薩摩藩主・島津斉興の茶頭に仕えて茶坊主(世話係)となりました。

示現流剣術や薬丸自顕流剣術を学び、大山格之助(大山綱良)と試合をしたとも伝わっています。

 

あるとき、「お由羅騒動」という薩摩藩の後継者争いに巻き込まれ、藩を追われてしまいます。

そうして職を失ったためしばらく貧乏な生活を送りますが、藩主が島津斉彬に代わると許され、藩に復帰することになります。

 

安政の大獄で追われる有村俊斎

藩に復帰したころ、西郷吉之助(隆盛)大久保正助(利通)らと共に「精忠組」を結成します。

それをきっかけに幕政改革や日本の近代化について考えはじめ、明治維新に関わるようになっていきます。

 

その後、有村俊斎は江戸藩邸で働くこととなり、尊王論が盛んだった水戸藩の藩士たちに出会い、尊王論を学びます。

しかしまもなく、大老・井伊直弼による「安政の大獄」がはじまります。

「安政の大獄」とはざっくりいうと、開国を進めようとする井伊直弼のやり方に反対する者を弾圧し、次々に処刑したこと

「尊王攘夷」とは、いわば「外国人は討つべし!開国なんてもってのほか!」という考え方ですので、井伊直弼のやり方と正反対だったのですね。

尊王論を学んでいた有村俊斎も追われることとなりますが、西郷隆盛や月照という僧とともに薩摩に逃げ帰ります。

 

なお、安政の大獄には、有村俊斎の2人の弟である有村雄助有村次左衛門も大きくかかわっています。

有村雄助も有村次左衛門も二人とも、水戸藩士と交流し尊王攘夷活動を行っていたため、安政の大獄では追われる立場となっていました。

 

有村次左衛門は、「桜田門外の変」井伊直弼の首をとるものの、その場で切られ重傷を負い、自害しています。

 

有村雄助は、京都・大阪で挙兵しようと向かう際に薩摩藩によって捕まります。

幕府に逆らったものを生かしておくと罰を受けるのではと恐れた薩摩藩の命令で切腹させられます。

 

話を有村俊斎にもどします。

薩摩藩に逃げ帰った後、有村俊斎ら、関白・九条尚忠と京都所司代・酒井忠義の殺害を計画します。

しかし、それは事前に島津久光に知られてしまい、実行はなされませんでした。

このような物騒な計画を立ててはいたものの、有村俊斎はその後は藩の政治に従ったため、罰を受けることはありませんでした

しかし、弟たちが志のために命を落としたのに兄は生き延びているということで「愚兄賢弟」と言われてバカにされていたといわれます。

 

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西郷隆盛の失脚の原因・生麦事件など失態つづき

安政の大獄後に、安政の大獄の際に捕まって獄死した日下部伊三治という人物の娘・まつと結婚します。

そして、日下部の旧姓であった「海江田」の名前をうけ、「海江田信義」と名前を変えます。

 

結婚してしばらくしたころ、海江田信義島津久光に「西郷吉之助が命令違反をしたり、志士たちをあおっている」などを伝えてしまい、島津久光を激怒させます。

それによって、西郷吉之助は遠島となり一時的に失脚させられているため、西郷吉之助の失脚は海江田信義が原因だといわれることがあります。

 

また、島津久光の大名行列をさえぎったイギリス人を「無礼者!」と切り殺す事件、いわゆる「生麦事件」の際には、海江田信義はイギリス人にとどめをさしたといわれています。

この生麦事件がきっかけで「薩英戦争」という薩摩藩とイギリスとの戦争が起こります。

 

西郷隆盛の失脚や薩英戦争の原因を作った人物だったために、海江田信義はのちにあまり良くない評価を受けることが多いようです。

 

大村益次郎の殺害事件に関わった?

海江田信義は戊辰戦争では東海道先鋒総督参謀という重要なポジションをつとめ、西郷隆盛をサポートします。

そして、幕府の勝海舟との交渉にあたり、「江戸城無血開城」に成功しています。

 

しかしそのころ、長州藩出身の大村益次郎とは常に意見が分かれ、犬猿の仲となっていました。

そしてのちに大村益次郎が殺害される事件が起こります。

以前より大村益次郎の悪口を言い続け、さらには殺害実行犯とのつきあいがあった海江田信義は、

大村益次郎殺害の真犯人ではないかと噂されるようになりました。

さらには、殺害実行犯の処刑に異議をとなえるなどしたため、明治政府から取り調べを受け謹慎処分となってしまいます。

 

その後、大久保利通によって復帰し、奈良県知事に任命されるも、すぐに解任されてしまいます。

そして薩摩に戻り、新政府に不満を持っている島津久光と新政府との間をとりもつことに成功し、またまた復帰します。

その後、数年後に鹿児島で病死しました。

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