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阿部正弘とは?(あべ まさひろ) 業績や島津斉彬との関係 大河「西郷どん」キャストは藤木直人

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阿部正弘(あべまさひろ)について、むずかしい言葉をできるだけつかわずにわかりやすく解説していきます!

※2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」キャストは藤木直人さん

 

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阿部正弘の生い立ち

 

阿部正弘は、

1819年に備後福山藩(広島県東部)の藩主・阿部正精の五男として生まれます。

生まれたのは江戸でした。

 

兄の阿部正寧が藩主を継ぎますが、病弱だったため早くに隠居(引退)します。

そこで、弟である阿部正弘が次の藩主となり、備後福山に入ります。

 

その後すぐに幕府の役職についたため、そのまま江戸に戻ってしまい、

藩主でありながら、これ以降は自分の国である備後福山には一度も行かなかったとされます。

 

 

若くして幕府の老中となる

 

阿部正弘は、1843年に25歳という若さで幕府の老中となります。

老中は、ものすごくざっくりいうと「将軍直属の最高職」。5~6人いました。

今でいえば内閣総理大臣のもとにいる大臣たちに近いようなもの。

さらに、江戸幕府の将軍の中には、あまり自ら政治を行わない人物もいたため、

実質的に、幕府の政治は老中たちが行っていたとも多かったようです。

そんな老中に25歳でなれるとは、阿部正弘がいかに有能な人物だったかがわかるでしょう。

 

さらには、「老中首座」として老中のトップにまで上りつめます。

 

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外国問題にとりくむ阿部正弘

 

このころ、世界では、アメリカやヨーロッパの国々などが、

他国と不平等な貿易を行ったり、さらには侵略して支配しようとする動きが高まっていました。

江戸幕府は「鎖国」を行い、できるだけ外国と関係を持たないようにしていましたが、

阿部正弘が老中になったころには、頻繁に外国からの船が日本にやってきていました

 

そのため、阿部正弘は外国問題に積極的に取り組むことになります。

代表的なのが「海岸防禦御用掛(かいがんぼうぎょごようがかり)」

略して「海防掛」ともいいます。

漢字を見るとむずかしそうに感じますが、

つまりは、外国の侵略に備えて海岸を守る役職のこと。

「海防掛」は以前にもあった役職なのですが、常設ではありませんでした。

阿部正弘は「海防掛」が重要だと考え、常設にします。

 

そして、1846年、アメリカのジェームズ・ビドルの艦隊が浦賀にやって来て、通商を求めます。

しかし、阿部正弘は鎖国を理由に断ります。

(この件は、ペリー来航より7年ほど前のことでしたが、あまり有名ではありません)

 

ペリーの来航

 

そして、1853年、マシュー・ペリーの艦隊が開国を求めてやってきます。

ひとまずペリーは、翌年また来ることを伝えて去っていきますが、

幕府は大混乱となります。

 

このころ、第12代将軍・徳川家慶が病死し、徳川家定が第13代将軍となっていましたが、

徳川家定は病弱だったため、老中首座の阿部正弘が実質的な幕府の総責任者となっていました。

 

ペリーの件について

薩摩藩の島津斉彬や水戸藩の藩主・徳川斉昭をはじめとした大名たちなどの意見を求めるも、

なかなか対策がまとまりません。

 

結局、再度ペリーがやって来るまでに話はまとまらず、

とりあえず穏便にまとめるために

アメリカと「日米和親条約」を結んでしまいます。

これにより、下田(静岡県伊豆半島の南)と函館を開港し、

約200年続いた鎖国が終わります

 

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その後の阿部正弘

 

日米和親条約を結んだのち、

幕府内は攘夷派と開国派に分かれていき、

その対立にまきこまれ、阿部正弘は老中首座を譲ります。

しかしながら、その後も老中として働き、

勝海舟などを登用、長崎海軍伝習所などを創設し、

外国問題、海防に力を注ぎました。

 

そして、1857年に39歳の若さで亡くなります。

 

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阿部正弘と薩摩藩の島津斉彬との関係

 

大河「西郷どん」をより楽しむために、薩摩藩での出来事と阿部正弘の関係をお伝えします。

先ほど説明したように、阿部正弘は外国問題に関して薩摩藩の島津斉彬を頼っていました。

 

島津斉彬は本来であれば薩摩藩の藩主となるはずでしたが、

そのころの藩主・島津斉興なかなか藩主を譲ろうとしません

さらには、島津斉興の側室の息子・島津久光を次の藩主にしようとしたため、

薩摩藩内では、島津斉彬 VS 島津久光 の後継者争いお由羅騒動」が起こり、

派閥に分かれて対立します。

 

島津斉彬たちは、

島津斉興とその重臣・調所広郷を失脚させるため、

この2人を中心として薩摩藩が行っていた外国との密貿易について、

阿部正弘に密告します。

 

阿部正弘は、調所広郷を江戸に呼び出し問い詰め、

その直後、調所広郷は急死します。

島津斉興に責任が及ばないように、自分で毒を飲んだともいわれています。

 

しかし、島津斉興は藩主の座を島津斉彬に譲ろうとはせず、

「島津久光やその母(お由羅の方)を暗殺しようとした」という疑いとかけて

島津斉彬派の者達を多数処罰します。

 

島津斉彬も追われる身となったため、阿部正弘に助けを求めます。

そして、阿部正弘は将軍に「島津斉興に隠居(引退)するよう、直接話してほしい」とお願いし、

やっと島津斉興は隠居し、島津斉彬が薩摩藩主となります。

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